大坂の歴史が「見える」博物館
大阪歴史博物館へ行ってきました。
10階~6階が展示室になっていて、フロアによって扱う時代や内容が異なります。
古代をテーマにした10階では奈良時代の難波宮の内部が、中近世をテーマにした9階では江戸時代の「水都・大坂」の様子が、実物大で再現されていて、まるでタイムスリップしたような感覚を味わうことができます。
もちろん、時代の証人である実物資料も充実しています。
下の写真は、渋川春海の手による天文図・世界図屏風。とても見ごたえがありました!
そして、次の写真は、10階の窓からの眺め。大きな窓から見下ろす大阪城と難波宮跡の眺めは格別です。全体的な構造を見渡すことができ、現地を訪れるのとは別の視点で楽しむことができます。
粘り強く調査を続けて難波宮の所在地を突き止め、遺跡の保存を訴えた山根徳太郎氏の像は、難波宮跡を見下ろせる場所に設置されています。
山根博士と一緒に、奈良時代の大阪の様子を想像してみるのも良いですね。
色んな視点で歴史を眺め、楽しむことができる博物館です。
不思議なものが棲む世界
特別企画展・なにわ人物誌「堀田龍之助~幕末・近代の大阪に生きた博物家~」を見てきました。このフロアは撮影不可。
薬種業を営む家に生まれた堀田龍之助氏(1819~1888)が、専門家との交流を深めつつ、市井の博物家として生きた様子が紹介されています。
蔵書や標本には、本人の手による付箋や書き込みが残っていて、熱心な様子が伺えます。
堀田氏自身の著作はありませんが、師匠である畔田翠山の「水族誌」の刊行に尽力し、その図版編を作ろうとしたそうです。
色んな本や、あるいは実物も見て描いたのか、見事なスケッチも展示されていました。驚くほど多様な動植物の形状や生態を、正確に捉えたい。そんな気持ちが感じられるようです。
また、資料の中には、本から書き写したらしき河童のスケッチや、海水を淡水に変える伝説上の「海井」を話題にした書簡もありました。
もしかしたら、人の手が届かない海の底には、人が足を踏み入れない山の奥深くには、誰も見たことのない不思議が隠れているかもしれない・・・わが身をとりまく世界への好奇心を持ち続けていたのではないかと想像します。
博物家とその時代
江戸から明治へ、大きく変化する時代を生きた堀田氏。堀田家の商いも、薬種業から「らんびき屋」(化学系の製造業?)へと変わっています。
展示では、東京国立博物館や舎密局の創設に携わった田中芳男氏との交流も紹介されていました。
堀田氏は、後年、大阪博物場に雇用されたとのこと。日本において「博物館」が姿を現し始めたこの頃、堀田氏も、その力となった一人なのでしょう。博物場掛としての彼の生活が、幸福なものであったことを願います。
ところで。
「舎密」は、オランダ語「chemie」(化学)の読みに漢字をあてはめたもの。
堀田家の「らんびき屋」が、舎密局へも納品していたかどうかは、分かりませんけれど。