博物館ランド

ミュージアムの面白かったところをレポートするブログです。

浅間縄文ミュージアム

広がる縄文ワールド

2018年は、東京国立博物館の縄文展が人気を集めたほか、ドキュメンタリー映画縄文にハマる人々」が公開されるなど、空前の縄文ブームでした。ということで(?)、浅間縄文ミュージアムに行ってきました。

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ミュージアムのある御代田町では、縄文時代の遺跡が40カ所以上見つかっているとのこと。このミュージアムでは、地元の出土品を中心に、国宝土偶の複製なども展示されていて、縄文の魅力をぎゅっと凝縮した内容となっています。

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展示室入口で出迎えてくれる仮面たち。造形の面白さが光ります。

すぐそばには、土偶CTスキャン画像も展示されていました。土偶の内部の様子が見えるのは、ちょっと新鮮・・・作成方法がよく分かります。

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長野県茅野市で見つかった「縄文のヴィーナス」の出土状態が復元されていました。ほぼ完全な状態で発見されたそうです。

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上の写真は、御代田町で出土した6,000年~7,000年前の尖底土器群。シンプルなフォルムの美しさと、縁や表面に施された装飾が目を引きます。もう少し時代が下ると、平底土器が登場するとのこと。時代による土器の様式の移り変わりは興味深いです。

そのほか展示室では、黒曜石で作られた矢じりやナイフ、様々なデザインの耳飾り、食料となった動物の骨などが並べられ、当時の生活の様子が解説されていました。土偶や石棒についての説明のほか、遺跡で見つかった埋葬跡の紹介などもあり、浅間山麓に存在していた縄文世界の広がりを感じさせてくれます。

ご当地ならでは

常設展示の核となっているのは、御代田町の川原田遺跡で見つかった出土品一式。縄文時代中期の土器や石器など76点が、国の重要文化財に指定されています。中でも、装飾性が高く「日本の縄文工芸の頂点のひとつ」とも言われる焼町土器のコレクションは圧巻でした。

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焼町土器の特徴は、ドーナツ状やメガネ状の突起、渦を巻く曲線、曲線の間を埋める点などの文様とのこと。規則的なようで自由な、どこか有機的でもあるような・・・この造形は、一体どこからやってきたのでしょう? 力強く、美しく、わけが分からない。何とも魅力的です。一連の重要文化財の中には、立体的な造形で知られる勝坂式土器や阿玉台式土器も含まれていて、型式の異なる縄文土器の競演を楽しむことができます。

長い縄文時代の中で、これほど特徴的な土器が作られていた時期と地域は限られているようです。縄文時代の一時期、この地域に現れ、やがて姿を消した焼町土器。いったいどんな人たちが作っていたのでしょうか。

また、展示室の2階では、浅間山の自然や噴火の歴史が紹介されていました。

江戸時代の噴火では、1,000人以上の死者が出たとのこと。ミュージアムの辺りからは、浅間山を間近に望むことができます。その姿を見上げたり、敷地内に積まれた火山岩を眺めたりしながら噴火の凄まじさを想像すると、何となく肌に迫って感じられるものがあります。

ところで。

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写真は、しなの鉄道軽井沢駅の風景です。ご当地鉄道は、それぞれの味があって良いですね。車窓から大きく見える浅間山の風景が素敵でした。長野県ならではです。

博物館の話で言うと、地方にあって、地域の大切なものを伝える博物館の常設展示には、その場所でしか触れることのできない魅力があります。

見に行って良かったなと思いました。

印刷博物館「天文学と印刷」

印刷技術が世界を変える

印刷博物館特別展「天文学と印刷」に行ってきました。

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主に15~17世紀のヨーロッパで出版された書物等を豊富に展示し、天文学と印刷の関わりを追う展覧会です。古代ギリシアからの西洋天文学の系譜とともに、活版印刷の歴史についても解説されています。

会場では、夜空を思わせるような黒い壁に解説文や展示物が浮かび上がり、入場者を非日常の世界にいざなってくれます。キャプションに印刷者と印刷地が記載されているのは、この博物館ならではでしょうか。

15世紀、グーテンベルクによって発明されたとされる活版印刷術。その技術はヨーロッパ各地に広がりました。当時、学者がその知識や考えを広めるために、自ら印刷を行うケースもあったとのこと。ドイツのニュルンベルクでは、天文学者兼印刷者のレギオモンタヌス(1436~1476)が天体観測所と印刷所を設置したことがきっかけとなり、自然科学書の出版が行われていたそうです。それらの書物には挿絵が豊富に掲載され、書体なども工夫されました。レギオモンタヌスは40歳で亡くなりましたが、その知識や遺稿は多くの人に引き継がれました。

ニュルンベルクに生まれた芸術家、アルブレヒト・デューラー(1471~1528)についても、その手による挿絵や星座絵が展示されていました。また、デューラーが学者としての側面を持ち合わせていたことや、レギオモンタヌスの蔵書の一部を所持していたこと、住んでいた家の内部の様子なども紹介されています。

そして、天動説から地動説への転換のきっかけとなった、ニコラウス・コペルニクス(1473~1543)の著書『天球の回転について』。この発行が可能になったのは、出版都市ニュルンベルクの土壌があったからこそ、と言えそうです。展示では、当時の印刷をめぐる事情を中心に、『天球の回転について』出版の経緯が解説されていました。 

印刷物によって情報が人々の目に触れやすくなり、分かりやすい図版は理解の深まりを助けました。その効果は知識の共有のみにとどまらず、様々な反応を引き起こし、科学の発展を推進したとのこと。それは天文学だけではなく、植物学や医学などあらゆる分野に及びます。そして、一部の書物は、江戸時代の日本へも運ばれました。

印刷技術の発明がなければ、科学の進歩のあり方はもっと違っていたかも・・・歴史の中で印刷が果たした役割の大きさを考えさせられます。

新しい景色

会場には、『天球の回転について』の複製が置いてあり、観覧者が触れるようになっています。地球中心の世界から太陽中心の世界へ、宇宙の姿を変え、歴史を動かしたと言える一冊です。

新しい知識や概念、考え方・・・本の中には別の世界があって、読者に新しい景色を見せてくれますね。出版に関わった多くの人々、一冊の本が及ぼした歴史的な影響を思いながらそのページをめくると、感慨もひとしおです。

また、この展覧会は、図録が大変魅力的です。

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デザインは美しく、糸綴じのため開きやすいです。もちろん中身も充実。展覧会では、初期の活版印刷者たちが工夫をこらしたことが紹介されていましたが、その心意気を伝えるようでもあります。

ところで。

司馬遼太郎の小説『胡蝶の夢には、ポンペ来日以前、江戸時代後期の日本の医者たちが、西洋の医学書から得た知識を実践し、(大胆にも)手術まで行っていた様子を描いた場面があります。

本を手に取った多くの読み手たちも、歴史を動かす担い手の一人となったのでしょう。著者と読み手、双方の力が働いて、はじめて新しい景色が構築されるのかもしれません。もちろん、それを可能にした印刷者の役割も重要・・・と、この展覧会で学びました。

明石市立天文科学館「江戸の天文学展」

二つの天文学

明石市立天文科学館特別展「江戸の天文学展」に行ってきました。

古くから日本で使われていた中国の天文学と、江戸時代に少しずつ伝わってきた、新しい西洋の天文学。二つの天文学の間で、江戸時代の日本人たちが新しい知識を吸収しながら工夫を重ね、独自の成果をあげてきた様子が紹介されています。

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日本では9世紀から800年以上にわたって、中国で作られた「宣明暦」が使用されていましたが、実際の天体現象と一致しなくなってきたため、1685年、初めての国産の暦「貞享暦」への改暦が行われました。

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上の写真は、貞享暦作成の中心的役割を担った、渋川春海の「天文分野之図」。中国の星図をもとに作られています。星図の縁には、方角ごとに日本の地名が書き込まれていますが、これは天文占いの考え方によるものとのことです。

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西洋の知識を伝える書物の数々。『西洋新法暦書』、『ラランデ暦書』など。

漢文で書かれている書物は、何となく読み取れる内容もあって面白いです。天体の動きや、木星の衛星の見え方などについて記されています。

自ら天体観測を行うほど科学に興味を持っていたという徳川吉宗が、西洋天文学の導入を推進したそうです。これらの知識が、1798年の「寛政暦」への改暦や、伊能忠敬の日本地図作成等に生かされました。

下の写真は、伊能忠敬コーナー。地図を開いてじっくり眺めることもできます。

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そのほか展示室では、天文学に携わった江戸時代の研究者や技術者、ベストセラーとなった天文学の入門書、地元明石市の神社に奉納された算額等が紹介されています。

中でも、眼鏡職人の岩橋善兵衛が作った望遠鏡や、惑星のスケッチには目を引かれました。

ガリレオのスケッチを連想しました。ガリレオの『星界の報告』を読むとその興奮が伝わってきますが、江戸時代の日本人も、わくわくするような好奇心を持って夜空を見上げていたのでしょうか。

交差する時間

特別展で江戸時代に思いを馳せた後は、プラネタリウムへ。明石市立天文科学館のプラネタリウム投影機は、ご長寿日本一。現在稼働しているプラネタリウムの中では、日本で最も古いそうです。

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カールツァイス・イエナ社製の投影機が格好良いですね。なめらかに動いて、きれいな星空を見せてくれます。大切に使われ続けているのですね。

ところで。

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写真は、明石市内の「忠度公園」。この辺りは、心を打つ和歌でその名を留めた平家の武将、平忠度ゆかりの地とのこと。すぐ近くには忠度塚があり、丁寧に祀られています。公園の名前にもなっているあたり、地域に愛されている様子が伺えます。

「時のまち」明石で、過去と現在が優しく交差するようでした。

横尾忠則現代美術館「在庫一掃大放出展」

テーマなし、の面白さ

横尾忠則現代美術館特別展「在庫一掃大放出展」(会期:平成30年9月15日~12月24日)を見てきました。

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ここでは今まで色々なテーマの特別展が開催されてきましたが、今回はあえてテーマを設けず、この美術館でまだ展示していない作品(在庫?)ばかりを出展した(大放出!)とのこと。ポスターには所狭しと「SALE」の文字。スタッフの皆さんは、大売り出しの赤いハッピを着用されています。

そうかこんなのもアリなんだ、と思わせてくれるのが素敵なところ。こういう展覧会が立派に成立してしまうのも、横尾作品ならでは、でしょうか。(実際に作品が販売されているわけではありません。念のため・・。)

会場内は、ごく一部の作品を除き撮影OKです。

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他の美術館で公開制作されたもの、特に発表のあてもなく日記のように描かれたもの、キャンバスを何枚も貼り重ねたもの、養父の姿や故郷の風景を描いたもの・・・主題も様式も様々で、まさになんでもありの、バリエーション豊かな展示内容です。

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たくさんのY字路が、多様なイメージを映し出します。

タカラヅカを観た夜に見た夢」という作品では、Y字路でタカラジェンヌ(男役)が華麗に踊っていました。タイトルどおりの作品とのこと。観劇の興奮が漂います。

宝塚関連の作品はいくつかあり、その中に、ポストカード大のタカラジェンヌのプロマイドを300枚以上並べた作品がありました。そこに重ねて貼られた昭和の小学生ら(?)の白黒写真は、勝手な想像ですが、横尾氏自身の姿の投影でしょうか。

ひとつひとつの作品の意味はよく分かりませんが、時に突拍子のない、突き抜けたようなイメージに惹かれます。もう、意味が通じないといけないなんて思わなくても、見たまま、感じるままでいいんじゃないの・・・絵画の森をさまよううちに、どこか自由な気分に浸されてきます。

セール会場(?)の演出

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作品の横には、作家自身の筆跡によるコメント(作品が制作されたときの状況など)が、白いテープでビビッと貼られています。なんだかカッコいい。

手書きの文字が、より生身の声を伝えてくれるというか、作品との距離を縮めてくれるような気がします。

そして、壁のところどころに押された赤いスタンプの文字・・・。ご本人が押されたとのこと。美術館で展示されている作品に添える言葉としては、何というか新鮮で面白いです。

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大きな展示壁が斜めに配置されていて、作品との出会いを演出してくれます。カメラを持って、色々なアングルを試してみるのも楽しいです。

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作品の一部は壁にたてかけてあったり、たまに展示壁のベニヤ板が露出していたり・・・「セール会場」の雰囲気づくりや展示手法も要チェックです。

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撮影コーナーでは、赤いハッピを着て写真を撮ることができます。どうぞ自由にやっちゃってください、という感じ。もはや記号のようになった「SALE」の文字の中に、ひとつだけ「FAKE」が混ざっています。

ところで。

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横尾氏は、星空を見るのが好きとのこと。

誰もが目にするはずの風景も、画家の目に映ると、その感性の作用で、別の宇宙への入口になってしまうのかもしれません。そんなことを、大きな目に見つめられながら、ぼんやりと考えていました。

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古代吉備文化財センター「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま」

古代吉備王国の面影

古代吉備文化財センターに行ってきました。センターの周辺には、いくつもの古墳や、吉備津神社吉備津彦神社などがあり、歴史の深さを感じさせます。

古代の吉備地方では、独自の勢力圏が築かれていたと考えられています。争乱の伝承を残しつつ、吉備地方はやがて大和政権の支配下に入りますが、出土品からは、その繁栄ぶりや独自性を垣間見ることができます。

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センターの展示室は1部屋のみですが、常設の通史展示(縄文~江戸時代)のほか、テーマ展示や特別展示も開催されています。展示の解説プリントが置かれていて、観覧者が持ち帰れるようになっています。

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上の写真は、縄文後期の土器。描かれた模様は何を表しているのでしょう。

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弥生時代の器台と壺。まつりに使われたものとのこと。多彩な装飾が目を引きます。

弥生時代後期には、これらの器台が、大きな円筒形の「特殊器台」に発展。特殊器台は吉備地方を中心に広がり、円筒埴輪の成立に影響を与えたと考えられています。

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赤磐市弥上古墳から出土した陶棺。全国で見つかった陶棺のうち、約8割が岡山県で出土したものだとか。

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奈良時代の役所跡で見つかった獣足壺。何の動物の足なのか、何が入っていたのか、どんな人が使っていたのか・・・色々と気になります。

ここまで、自分の興味のおもむくままに写真をチョイスすると、土製品ばかりになってしまいましたが、玉や金属製品などのキラキラコーナーもありましたよ、と申し添えておきます・・。

伝説へのいざない

特別展「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま」が開催されていました。

岡山で桃太郎・・・安直だと思われるでしょうか。でも、ただの昔話だけではありません。桃太郎伝説関連の遺跡は、今年5月に日本遺産に認定されました。鬼ノ城、楯築遺跡、吉備津神社など、一連の文化財はユニークで魅力的です。

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上の写真は、倉敷市上東遺跡で出土した、弥生後期~終末期の桃核(桃の種などの固い部分)です。これも日本遺産を構成する文化財のひとつ。川や井戸の跡から見つかることも多く、まつりに使われていたとも考えられているそうです。

桃には不思議な力があると考えていた、中国の影響を受けた可能性もあるとのこと。桃核は各地の遺跡で見つかっているそうですが、上東遺跡では約9600個出土しており、奈良県纏向遺跡で見つかった約2800個を大きく上回っています。

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桃核と一緒に見つかった卜骨(占いに使われた動物の骨)。何らかの儀式が行われていたのでしょうか。

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温羅という名の鬼が住んでいたと伝わる、鬼ノ城の城壁の土層をはぎとったもの。奥のほう、バームクーヘンの断面のように土が幾層にも重なって見える部分は、版築という工法で、一層ずつ突き固めながら築かれたものだそうです。

鬼ノ城は、飛鳥時代に築かれたとされる山城。築城についての記録は残っていないようで、伝説だけを留めています。

特別展ではそのほかに、鬼退治のため朝廷から派遣された吉備津彦命(桃太郎のモデル?)が、石楯を築いて防戦の準備をしたと伝わる楯築遺跡や、吉備津彦命の墓とされる中山茶臼山古墳なども紹介されていました。

ということで。

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上の写真は、中山茶臼山古墳へと続く階段。吉備津彦命は、この中山に陣を布いたとも言われています。

桃太郎伝説は、大和政権による吉備の平定を表したものなのか・・・その真相は不明ですが、一連の遺跡たちは、見る人に物語を空想させるだけの魅力を持っています。なんでもない風景が、ふとした瞬間に伝説世界への入口に変わる、かも。

大阪府立近つ飛鳥博物館「古墳と水のマツリ」

黄泉の世界の内側は

大阪府立近つ飛鳥博物館に行ってきました。

一須賀古墳群(史跡公園「近つ飛鳥風土記の丘」として整備されています)の一画に建てられた、古墳時代飛鳥時代をテーマにした博物館です。

ほとんど崩れてしまっていますが、博物館の駐車場にも古墳があります。

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建物は安藤忠雄氏の設計。真ん中の塔は黄泉の世界をイメージしているとのこと。どこか墓標を思わせるような、あるいは異界への入口のような、迫力のあるたたずまいです。

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展示室の入口には、「近つ飛鳥」の地名の由来となった、『古事記』のお話が書かれています。物語の世界へ足を踏み入れるようにして、展示室へと入ります。

常設展示室では、古墳から出土した武具・装身具などの副葬品、被葬者の記録を残す墓誌、バリエーション豊かな埴輪などが展示されていました。また、いくつかの古墳については、内部の解説も。

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上の写真は、聖徳太子の墓とされる石室の模型。明治の初め頃までは中に入ることができたとのことで、記録をもとに内部の様子が復元されています。聖徳太子と、その母、夫人のものとされる3人分の棺が置かれています。表面がきれいに加工された石組みが印象的です。

個人的に興味をひかれるのが、「横穴式石室の世界」のコーナー。

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上の写真は、一須賀5号墳の出土状況を再現したもの。

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造られた時代や形が異なる石棺たち。

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これは4世紀の割竹形石棺。表面に線で模様が彫られています。

デザインの面白さももちろんですが、石棺にはやっぱり、独特の迫力があるように思われて、つい足を止めてしまいます。「黄泉の世界」をイメージして作られたとも言われる、石室内部の世界。その主役としての貫録が光る・・・ような気がします。

柵形埴輪の内側は

企画展「百舌鳥・古市古墳群に学ぶ、古墳と水のマツリ」を見てきました。5世紀を中心とした古墳等の出土品の中から、「水のマツリ」に関するものが集められています。

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まず目をひくのが、上の写真にもある柵形埴輪。ギザギザや突起のついた柵・・・装飾的とも言える造形が面白いです。何か特別なものを入れるためのものなのでしょうか。

狼塚古墳で出土した柵形埴輪の内側には玉石が敷きつめられ、導水施設を模した木樋形土製品が納められていたとのこと。類似の埴輪はほかでも見られ、古墳の中で埴輪が置かれた位置にも特徴が見られるそうです。大王や首長が執り行った「水のマツリ」が、これらの埴輪から推測できるのではないかということです。

そのほか、実際の導水施設の跡と思われる遺跡や、井戸の跡、「水のマツリ」に関連すると見られる土器、勾玉、絵馬などが展示されていました。

当時のマツリと王権とは、深く関わっていたことでしょう。どのようなマツリが行われていたのか、柵形埴輪の内部の機能は何か・・・。好奇心を刺激されますが、出土品の状況にはばらつきもあり、導水施設を模した埴輪は6世紀に入ると見られなくなるなど、そのあり方にはまだまだ謎が残ります。

今回の企画展は、今までの調査の積み重ねから導かれた、最新の研究成果をもとに構成されたとのこと。さらなる調査研究の進展が期待されます。

ところで。

しばらく前に、百舌鳥古墳群をあるく 巨大古墳・全案内」(久世仁士著・創元社)という本を読みました。古墳めぐりをしたくなる素敵な本でした。一方で、戦後になってから破壊・改変されてしまった古墳の記述も多く、文化財保存のあり方についても考えさせられます。

現在、世界遺産登録を目指している百舌鳥・古市古墳群。これからも地道な調査研究を続けていただいて、将来に伝えていくべき遺跡の姿、古墳文化の広がりを、こうした企画展等の機会に発信し続けてほしいなあと思います。

 

大阪府立狭山池博物館

池に刻まれた記憶

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狭山池に行ってきました。日本最古のダム式のため池とのこと(国の史跡)。7世紀初めに誕生し、その後度重なる改修工事を経て、現在もその役割を果たし続けています。

池のほとりには、土木遺産としての狭山池とそこに関わった人々を紹介する、大阪府立狭山池博物館があります。 

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建物は安藤忠雄氏の設計。あれ、入口はどこでしょう・・・と、翻弄される時間も楽しまなくてはいけませんね。水面から水底へ近づくように階段を下り、展示室入口へと向かいます。

狭山池には、飛鳥時代から現代にいたる様々な記憶が刻み込まれています。常設展示では、豊富な実物資料と分かりやすい映像で、それらをひとつひとつ辿ることができます。

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上の写真は、飛鳥時代に築かれた堤の遺構。地滑り防止のために、土の層と枝葉の層とを交互に重ねて踏み固める「敷葉工法」が使われているそうです。およそ1400年前に敷きつめられた木の枝や葉っぱが、はっきりと確認できます。

飛鳥時代の堤で使われている敷葉工法や土のう工法は、中国から伝わってきたものだとか。映像コンテンツでは、同じ工法を使った中国や朝鮮半島の史跡も紹介されています。

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上の写真は、取水設備として設けられた樋の遺構。奈良時代に作られたものです。

意外としっかり残っているものですね。木材を継いで、長い樋が作られています。飛鳥時代や江戸時代の樋も展示されていて、見比べることができます。

また、狭山池の改修には、様々な人々が関わっていました。

大仏建立で知られる奈良時代の僧・行基東大寺の再建に尽力した平安末期の僧・重源、豊臣家に仕えた武将・片桐且元など、土木工事の実績を持つ人物が中心となり、狭山池の改修を行ったとのこと。いつの時代にも費用と労力をかけて維持管理を行っている様子から、狭山池の重要性が伺えます。

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上の写真は、重源の像と、その改修工事を記録する記念碑。この写真では分かりにくいですが、石の表面に銘文が刻まれていて、改修の経緯や、携わった技術者の名前などが記されています。「名誉と利益のためではなく、ひとえに公益のため」に、男女を問わずあらゆる人々が工事に協力したとのことです。

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上の写真は、片桐且元による慶長の改修で築かれた、木製枠工の遺構。堤の地滑りを防ぐ工夫とのことです。

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慶長の改修で設置された「尺八樋」の模型。高さの異なる4つの取水口が設置されています。以前の取水口は池の底に近い位置に設けられていましたが、尺八樋の設置により、水位に応じて取水口を変えることができ、比較的水温の高い、水面近くの水を使えるようになったそうです。

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商人が力をつけてくると、入札制度がとられるようになりました。上の写真は、江戸時代の狭山池改修工事に係る設計内容書、金抜き設計書、入札結果表など。入札の手順は、今とあまり変わらないのかもしれません。

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これは昭和の取水塔。かなり使い込まれた雰囲気を漂わせています。

この博物館では、規模の大きな遺構が文化財として数多く保存・展示されていることに驚かされます。でもそのおかげで、狭山池の記憶をめぐる旅は、充実したものになりました。

地面の下の文化財

 博物館の入口には、約1400年の歴史が積み重なった貴重な文化財として、狭山池の堤の断面(実物)が展示されています。

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切り取られた堤の大きさは、高さ15.4メートル、底幅62メートル。飛鳥時代に初めて作られた堤の層や、奈良時代の改修で盛り土が倍ほどになった様子、慶長の地震の跡などを見ることができます。狭山池のすべてがここにあるとも言えそうな、博物館のシンボルです。

ちなみにこの展示は、実際の堤を、横3メートル×高さ1.5メートル×厚さ0.5メートルのブロック110個に分けて切り出し、保存用の薬剤に2年間漬け込んで、その後さらに2年間乾燥させた後、元通りに組み立てて、免震台の上に設置したものだとか。

これほど大がかりな堤の保存は、世界でも類がないとのこと。その一つ一つの手順を想像するだけで・・・いや、ちょっと想像を超えています。

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平成の大改修で整備された、現在の狭山池の堤。この地面の下には、先人たちの工夫や苦労や技術の粋など、様々なものが積み重なっているのですね。私たちの身近にある、貴重な文化財です。

ところで。

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この写真は、まったく別の場所ですが、数年前の発掘調査の風景です。奈良時代の建物跡などが発見されました。現在、この土地には、新しいマンションが建てられています。

今の私たちの生活が成り立つまでには、過去の人々の営みがあり、それぞれの思いがありました。地面の下に眠る遺跡は、それを私たちに伝えてくれます。そして、つい自分中心に物事を考えがちな日常に、少し違う視野をもたらしてくれるような気がします。