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明石市立天文科学館「江戸の天文学展」

二つの天文学

明石市立天文科学館特別展「江戸の天文学展」に行ってきました。

古くから日本で使われていた中国の天文学と、江戸時代に少しずつ伝わってきた、新しい西洋の天文学。二つの天文学の間で、江戸時代の日本人たちが新しい知識を吸収しながら工夫を重ね、独自の成果をあげてきた様子が紹介されています。

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日本では9世紀から800年以上にわたって、中国で作られた「宣明暦」が使用されていましたが、実際の天体現象と一致しなくなってきたため、1685年、初めての国産の暦「貞享暦」への改暦が行われました。

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上の写真は、貞享暦作成の中心的役割を担った、渋川春海の「天文分野之図」。中国の星図をもとに作られています。星図の縁には、方角ごとに日本の地名が書き込まれていますが、これは天文占いの考え方によるものとのことです。

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西洋の知識を伝える書物の数々。『西洋新法暦書』、『ラランデ暦書』など。

漢文で書かれている書物は、何となく読み取れる内容もあって面白いです。天体の動きや、木星の衛星の見え方などについて記されています。

自ら天体観測を行うほど科学に興味を持っていたという徳川吉宗が、西洋天文学の導入を推進したそうです。これらの知識が、1798年の「寛政暦」への改暦や、伊能忠敬の日本地図作成等に生かされました。

下の写真は、伊能忠敬コーナー。地図を開いてじっくり眺めることもできます。

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そのほか展示室では、天文学に携わった江戸時代の研究者や技術者、ベストセラーとなった天文学の入門書、地元明石市の神社に奉納された算額等が紹介されています。

中でも、眼鏡職人の岩橋善兵衛が作った望遠鏡や、惑星のスケッチには目を引かれました。

ガリレオのスケッチを連想しました。ガリレオの『星界の報告』を読むとその興奮が伝わってきますが、江戸時代の日本人も、わくわくするような好奇心を持って夜空を見上げていたのでしょうか。

交差する時間

特別展で江戸時代に思いを馳せた後は、プラネタリウムへ。明石市立天文科学館のプラネタリウム投影機は、ご長寿日本一。現在稼働しているプラネタリウムの中では、日本で最も古いそうです。

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カールツァイス・イエナ社製の投影機が格好良いですね。なめらかに動いて、きれいな星空を見せてくれます。大切に使われ続けているのですね。

ところで。

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写真は、明石市内の「忠度公園」。この辺りは、心を打つ和歌でその名を留めた平家の武将、平忠度ゆかりの地とのこと。すぐ近くには忠度塚があり、丁寧に祀られています。公園の名前にもなっているあたり、地域に愛されている様子が伺えます。

「時のまち」明石で、過去と現在が優しく交差するようでした。