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京都国立博物館「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」に行ってきました

「流転」を体験する

京都国立博物館に行ってきました。特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」が開催されていました(会期は2019年11月24日まで)。

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鎌倉時代に描かれた「佐竹本三十六歌仙絵」は、数ある歌仙絵の中でも特に美しく名高い作品。幕末には上下2巻の巻物の形で、秋田藩主であった佐竹家に伝えられていました。しかし、これが明治に入って売りに出されます。実業家の山本唯三郎氏が購入したものの短期間で手放し、その後は、あまりに高額のため一括購入できる人物が見つかりませんでした。そして1919年、ついに三十六歌仙絵巻は、複数の人物によって分割購入されることになりました。絵巻物は、歌仙一人ずつに分断され、それぞれ値段がつけられて、くじ引きで決定された所有者に、バラバラに引き取られたのです。

今年は、その「絵巻切断事件」からちょうど100年目。分断された37枚(三十六歌仙絵+住吉大明神図)の歌仙絵のうち、31枚がこの特別展で展示されます。鎌倉時代に誕生してから長い間大切に伝えられ、分断されながらも激動の時代を生きのびて、このたび再会した三十六歌仙絵・・・どこか奇跡的な雰囲気さえ漂う(?)、ドラマティックな展覧会です。

特別展では、100年前の絵巻分断の経緯が、分かりやすく解説されていました。

分割購入の「世話役」の一人で、大きな役割を担ったのは、三井物産の設立に関わった実業家であり、茶人としても知られた益田鈍翁氏。特別展の会場には、購入者を決める抽選会の舞台となった「応挙館」の写真や、部屋に設置されていた襖絵、分断にあたっての申合書、くじ入れとして使用された竹筒(花入れに加工済)、くじ棒等も展示されていました。

これらの資料が並べられたコーナーは、当時の応挙館の雰囲気を伺わせるようなレイアウトで、来館者の想像力を刺激します。解説文で事件の経緯を追いながら実物資料を眺めていると、まるで100年前の出来事を追体験しているような感覚に陥りました。

また、分断に際し元の絵巻の状態を正確に写しとって作られた摸本や、各所有者たちが歌仙絵に取り合わせて使用した茶道具等も展示されていました。せめて複製を作って元の絵巻の状態を記録・保存しようとしたこと、一枚の歌仙絵のためにふさわしい道具を選び抜いたことなど、人々の佐竹本三十六歌仙絵に対する思い入れの強さを感じることができます。

三十六歌仙のいる風景

展覧会の目玉は何と言っても、100年ぶりに再会した「佐竹本三十六歌仙絵」。歌仙絵には、各歌仙の紹介と代表歌が添えられています。展覧会場では、歌仙絵が一枚ずつゆったりと展示され、和歌の読み下し文・現代語訳も掲示されていました。

歌仙絵の大半は背景の描写もなく、シンプルに見えますが、人物が明確に描き分けられ、眼や髪、口元などが繊細な筆致で表現されています。ぼんやりと物思いにふけるものや、一瞬の驚きを捉えたもの、寂しそうに背を向けたものなど、表情も様々。それらは、単眼鏡で拡大して観察すると、一層はっきりと感じられます。

彼らの表情が語るのは、歌に込められた心情。和歌はたったの31文字ですが、言葉にならない文字の隙間を、歌仙たちの表情が埋めてくれるようでもあります。そして、歌の背景にある気持ちが、私たちにも十分共感できるものであることを教えてくれます。

さて、その歌仙絵の所有者たちには、お茶という共通の趣味がありました。分断後の歌仙絵は、茶室の床に掛けられるよう、掛け軸にされています(工夫をこらした表装も見どころの一つです)。

生き生きとした歌仙たちの表情を、狭い(狭くないかもしれませんが)茶室の床に掛けて、じっくり眺めることを想像すると・・・何とも言えない愛着というか、まるで古い友だちに対するような親しさが感じられたのではないかなあと思われました。

この展覧会では、ほかにも、「高野切」「三十六人歌集」等の著名な古筆や、様々な柿本人麻呂図・三十六歌仙絵などが展示されていました。古筆の流麗な筆跡には、(それを読めない私にとっても、)うっとりするような美しさがあり、見ごたえがありました。また何より、本当に長い間、三十六歌仙が愛され続けてきたことが分かります。

最後のコーナーに展示されていたのは、江戸時代の歌仙絵。その中の、狩野英岳筆「三十六歌仙歌意図屏風」には、三十六歌仙の歌の中の風景が、鮮やかな色彩で描かれていました。常盤の松や、ホトトギスの鳴く山中・・・それらは、単に「きれいな景色」というだけではなく、歌に詠まれた人の心が重ねられていて、目には見えない奥行きを感じさせます。

ところで。

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上の写真は、先日撮影したお月様。佐竹本三十六歌仙絵の中にも、月を詠んだ歌がいくつかありました。

この月は、今私が一人で見上げているだけの月ではなく、藤原高光が、源信明が・・・きっとたくさんの人たちが、それぞれの気持ちを映しながら見上げた月でもあります。そう考えると、寂しい気分のときも、少し心強いかもしれません。