博物館ランド

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備前長船刀剣博物館「一文字と長船」に行ってきました

国宝・山鳥毛の魅力

瀬戸内市にある備前長船刀剣博物館に行ってきました。訪れた日には、特別展「一文字と長船」が開催されていました(会期は2019年10月27日まで)。

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週末の博物館で、まず目に入るのは来館者の長い列・・・皆さん(私も含めて)のお目当ては、特別展会期中に一週間だけ展示される、国宝「太刀 無銘一文字(山鳥毛)」。備前の刀工集団の中でも名高い福岡一文字派の作と言われ、上杉謙信も愛したという名刀です。「景勝公御手選三十五腰」(上杉家が所蔵する数百口の刀のうち、上杉景勝が特に好んだもの)の一つでもあるとか。

博物館で目にする日本刀は、どれも美しく心惹かれるものが多いですが、山鳥毛の見ごたえは格別でした。

備前刀は「優美」なイメージがありましたが、こちらの山鳥毛は、「豪壮」で迫力を感じさせる姿。そして、刀身全体に(刃先から鎬筋までいっぱいに)見られる、激しく華やかに乱れた刃文が、ひときわ目を引きます。

山鳥毛の名前の由来は諸説あり、特徴的な刃文が「山鳥の羽毛のようだから」とも「山野が燃えるようだから」とも言われています。そう言われて実物を見ると、確かに刀身全体に羽をまとったようでもありますし、消えない炎をまとっているようでもあります。

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この写真では分かりにくいですが、個人的には、山鳥毛の刀身がオーラを放っているように感じられました。思わず目が吸い寄せられますし、見る角度を変えれば光の反射で表情が変わり、人を飽きさせません。いつまでも眺めていたくなるような一口でした。

現在は個人蔵の山鳥毛ですが、瀬戸内市はこれを買い取るため、「山鳥毛里帰りプロジェクト」として、ふるさと納税で寄付を募っています。目標金額は6億円。購入に成功すれば、日本刀の価値の高揚や伝統技術の継承、日本刀文化の発信等に山鳥毛を活用するそうです。

かなりの金額で、一つの地方自治体にとって容易なことではありませんが、この太刀には、「それでも挑戦しよう」と思わせるような、多くの人を惹きつけるパワーがあります。地域ゆかりの宝物を残す取り組み、ぜひ見守りたいものです。(2020年1月26日、目標金額達成おめでとうございます!)

刀匠の里

風土に恵まれ、古くから刀匠の里として栄えた備前。現在国宝や重要文化財に指定されている刀剣のうち、約半数を備前刀が占めていることからも、その隆盛ぶりが伺えます。

展覧会では、備前の代表的な刀工集団である、一文字派長船派の刀工たちの作品40点が展示されていました。

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上の写真は、長船派の「太刀 銘 光忠」(鎌倉中期)。華やかな刃文が目を引きます。光忠を「事実上の祖」とする長船派は、その子供や孫にも名工が続いて、刀剣史上もっとも大きな流派を形成したとのことです。

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この写真は、一文字派の「太刀 銘 則包」(鎌倉前期)。なんとこの太刀も、「景勝公御手選三十五腰」の一つということです。この太刀は、山鳥毛の隣に展示されていました。

山鳥毛と則包。かつて上杉家で所蔵され、景勝も手に取った二口の太刀が、時を経て、現代の博物館で再び相まみえる・・・時代の流れを思わずにはいられない、貴重な競演でした。

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上の写真は、岩戸一文字派の「太刀 銘 吉近」。拵えにも目を引かれました。鞘には、暗めの緑を背景に、黒い漆で波の模様が施され、その上に、波しぶきのようにも星のようにも見える金の粒が散らされています。

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そして、鍔には小さな龍が泳いでいました。もしかしたら、刀身を龍に見立てているのかも・・・などと、想像力を刺激されるデザインでした。

 さて、全国に名をとどろかせた備前刀ですが、16世紀末の大洪水で7千人以上の死者を出す壊滅的な被害を受け、日本刀の生産地としては衰えたそうです。しかし、多くの武将に愛された刀剣は今も残り、刀匠たちの名と魂を留めています。また、この博物館では、現代の刀匠による実演で、伝統の技を見学することもできます。

ところで。

司馬遼太郎の短編小説「菊一文字では、鎌倉時代の古刀「菊一文字則宗」(※則宗一文字派の祖)が、新選組沖田総司の佩刀として登場します。自らの生が長くないことを悟った沖田が、700年にも及ぶ太刀の寿命とその美しさに、特別な感動を抱く場面は印象的です。

沖田の愛刀が本当にそれであったかどうかは判然としませんが、私たちは博物館で、古い時代の一文字派長船派の実物を目にすることができます。そして小説の中の沖田と同じように、刀剣の姿に見とれ、その一口が歩んできた長い歴史に思いを馳せることができるのです。