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姫路科学館「はりまの星・日本の星」に行ってきました

星図でたどる天文学のおはなし

姫路科学館企画展「はりまの星・日本の星 ~身近な星のものがたり~」に行ってきました(会期は2020年1月19日まで)。

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星座といえば、オリオン座やカシオペヤ座など、西洋起源のものが一般的です。しかし、東洋にも昔から独自の星座が存在しました。この展覧会では、西洋・東洋それぞれで考えられていた星空の姿とその移り変わりが、資料とともに紹介されています。

西洋の星座は、2世紀にはギリシャプトレマイオスによって、48の星座(トレミーの48星座)にまとめられました。その後、大航海時代を経て南天の星座が追加されるなど増減をくり返し、1922年に国際天文学連合の総会で、現在の88星座に統一されました。

西洋の星座のコーナーでは、美しい星座絵入りのフラムスチード星図(18世紀)や、天球を外側から見た視点(実際に見上げた星空の向きとは左右反転)で描いたヘベリウス星図(複製)、星の位置と明るさを正確に記した現代の星図や、天体写真を使った写真星図等が展示されていました。

星座は「夜空の地図」とのこと。会場では、星図の座標系の違いや、地球の歳差運動による分点の移動等についても解説されていました。きれいな星座絵が想起させるギリシャ神話や、消滅した星座等に変わらず惹かれる一方で、天文学が発達し、観測技術が進歩するにつれ、より細かく正確な「地図」が求められていることも分かります。

今後、もっともっと科学が発達したら・・・また新しい星図が登場するのでしょうか? それは、これからの物語ですね。

日本人が見た星空

会場では、東洋の星図や、日本人と天文学の関わりについて大きく取りあげられています。日本では、キトラ古墳の天井画にも見られるように、古くから中国の星座が使われていました。

東洋の星座のコーナーでまず目を引かれるのは、鮮やかな色彩の「高幡不動尊金剛寺曼荼羅(複製)」。須弥山に座ったホトケを中心に、北斗七星・九曜・中国の星座である二十八宿をそれぞれ表した神像と、西洋の十二星座を表す絵が配置されています。このような星曼荼羅は、平安時代にはすでに作られていたとのこと。東洋と西洋の星座が一つの曼荼羅に配された様子は興味深く、様々な姿に描かれた星の神々は、東洋版の星座絵という趣もあって、一つ一つ見ごたえがあります。

また、初めて日本独自の暦法を完成させた江戸時代の天文学者渋川春海の業績についても紹介されていました。

渋川春海の時代に知られていた「天象列次分野之図」(中国の星座をもとに朝鮮で作られた星図)や「天経或問」(西洋天文学の内容を含んだ中国の書籍)のほか、渋川春海が自身の観測をもとに作成した星図「天文成象」、当時の天体観測機器である渾天儀の模型等が展示され、渋川春海が行った改暦や、新しく作った星座等について紹介されていました。また、日本初の天文学入門書「天文図解」や、望遠鏡製作で知られる岩橋善兵衛が著した「天文捷径 平天儀図解」等も展示されていました。

これらの資料からは、江戸時代にも、人々が天体現象に興味を持っていたこと、特に一部の人々は自ら観測・計算して、宇宙の姿を知ろうとしていたことが分かります。

彼らの目に、西洋の新しい天文学の知識は、どんなふうに映ったでしょうか。また、今までの星図になかった星を観測し、新しい星座として名付けたとき、渋川春海はどんな気持ちだったでしょうか。その情熱とひたむきさを想像します。

星の和名という楽しみ

会場の後半は、播磨地域を中心にした、星の和名についてのコーナー。日本には昔から、生活に即した、日本独自の星の名前が伝えられていました。星の和名は、オリオン座の三ツ星を農具に見立てた「からすき星」や、さそり座のアンタレスと両脇の星を天秤棒に見立てた「担い星」など様々なものがあり、同じ星でも地域によって呼び方が異なります。星の和名についての研究は、「天文民俗学」とも呼ばれています。会場では、星の和名の調査に尽力した、桑原昭二氏(1927~)と北尾浩一氏(1953~)について紹介されていました。

桑原氏は、元高等学校教諭。部活動顧問として天文気象班を指導し、生徒とともに掩蔽観測や黒点観察を行ったほか、日本各地に伝わる星の和名を収集し、その成果を『星の和名伝説集 瀬戸内はりまの星』(1963年・六月社)等にまとめました。また北尾氏は、1978年から星の和名収集を始め、現在も調査を続けています。桑原氏が調査を行わなかった離島や北海道等にも訪れ、2018年には、900種あまりの星の和名を掲載した『日本の星名事典』(原書房)を出版しました。

会場には、桑原氏が星の和名収集を行うきっかけとなった野尻抱影氏の書籍や書簡のほか、高校での観測資料や、2人がそれぞれ全国各地の人々に話を聞いたときの調査メモ、成果をまとめた報告書等が展示されています。

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そのほか、様々な星の和名が、季節の星座ごとにまとめられ、その呼び名のもとになった生活用具等とともに紹介されていました。

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星の和名は、時計が普及していない頃に口伝えで伝わっていたものが多く、時代が下るにつれ失われていきます。各地を回って、人々の昔話の中からそれを拾い上げる作業は・・・例えば川で砂金を探すような、宝探しを連想させます。そして、多くの苦労を伴ってまとめられたであろうその成果は、西洋化と画一化が進んだ現代において、まさに宝物のようです。

私たちはギリシャ神話を読んで、オリオン座の星に狩人の姿を重ね合わせます。同じように、星の和名を知ることで、日本の様々な場所で星を見上げてきた人々の姿や、彼らが描いたイメージを、夜空に共有することができます。星を見るという古今東西共通の楽しみに、日本の文化に根差した独自の物語を加えることができるのです。

ところで。

私は以前たまたま、桑原昭二氏ご本人から、星の和名収集に関するエピソードを伺ったことがあります。終戦後それほど時間が経っていない頃にも、高校の生徒と一緒に自転車で遠くまで出かけたとのことでした。

まだあまり余裕のない時代だったのでは、という意味のことを尋ねると桑原氏は、苦労はあったとしながらも、

「そこが天文の浮世離れしたところでな」

と笑みを浮かべられ、

「楽しい時代やった」

とおっしゃいました。